はじめに

私がパニック発作を起こしてから、症状が出なくなるまでの体験を綴りました。刺激の強い内容は含みませんが、感受性や不安が強い方は安心できる場所、または信頼できる人が近くにいる場所でお読みくださるといいと思います。

万が一発作が起こったら「何の危険もない」「安全だよ」と言いながら、ゆっくり呼吸をして休んでください。それゆえ、最初に言っておきます。

パニック症は治らない病ではありません。きちんと対処すれば改善していきます。発作はあなたの体を守るために起こる生体反応です。自分を責めたりしないでくださいね。しんどい場合、症状が重い場合はお医者さんに相談してください。回復する力はあなた自身が持っています。自分を信じましょう。

体験記

ある日の夜、帰宅してくつろいでいたとき、日中に見た場面が不意に頭の中によみがえりました。たまたま目撃し、ひどくショックを受けた光景です。

しかしその後は仕事に向かい、気にすることなく1日を過ごしました。

それが夜になって突然、現れたのです。いやな気持ちになりました。焦りました。消そうとしました。消えません。テレビに集中します…できません。現実ではテレビを見ているのに、昼間の出来事が、いま目の前で起こっているかのような感覚です。フラッシュバックです。心がかき乱されて、頭がおかしくなりそうでした。だんだん息苦しくなり、呼吸がつらくなりました。

息を吸おうとするのですが、呼吸が楽になりません。私のまわりから酸素がなくなったかと思ったほどです。馬鹿馬鹿しいことですが、別室の両親の様子をうかがい、ふつうに息をしているらしき姿を確認しました。精神的なものだ、落ち着け 自分に言い聞かせますが、いっこうによくなりません。救急車を呼ぼうか、と考えました。でも

一人であれこれ考えて、救急要請は見送り、様子を見ることにしました。それでもあの映像は頭の中でループ中。テレビを見ようとしても、新聞を読もうとしても、集中できません。

そこで私は頭を使う難題を自分に課し、集中することにしました。功を奏しました。1時間くらいやっていたと思います。息苦しさからは解放されました。

ところが、しばらくすると、またあの映像の無限ループが始まりました。寝ようとしたときです。そのため、ラジオも電気もつけたままベッドに横になり、自然と寝入るまで起きていました。

本格的に寝たのは3時か4時頃だったと思います。何とか数時間寝ることができ、翌日からいつもどおり仕事に出かけました。何かに集中していれば平気なのですが、寝るときになるとよみがえるのです。電気とラジオをつけたままの睡眠は10日ほど続きました。

そして、ここからがパニック症の始まりです。

電車に乗っていた時のこと。何の前触れもなく動悸が始まったのです。異常な動悸でした。ドオーッキン、ドオーッキン。運動した後のそれとはまったく違う、周囲の人に聞こえてるだろう、肋骨を突き破ってマンガのように心臓が飛び出てるだろうと思うほど。あまりの激しさに、心臓が止まるんじゃないかと思いました。次の停車駅で降り、やがて動悸は治まりました。

電車での発作はたびたび起きました。何が引き金になるのかが次第にわかってきたのですが、別の物が新たに引き金なることもありました。

どちらにしても、自分ではコントロールができません。いつ起きるかわからない、苦しくてもすぐに降りることができない、事故がおきたら長時間閉じ込められる、そんな不安がつきまとい、電車に乗るのが怖くなりました。

こうして地下鉄や高速道路の長いトンネルなども怖くなり、飛行機に乗れなくなりました。実はこれが広場恐怖症であることは、だいぶ後になって知りました。当時はパニック症すら知りませんでした。

あるとき何気なく見ていたテレビ番組で、「パニック障害」というものについて解説していました。「これだ」と思い、初めて自分の病名を知りました。すると動悸が始まりました。

それ以来、テレビで、新聞で、その辺に転がっている小冊子で「パニック障害」を頻繫に見聞きするようになり、そのたびに動悸がしました。

やがて「パ」の文字を見るだけで動悸がするようになりました。この状況を誰かに話そうとすると動悸が始まり、涙が出そうになります。平常心で話すことが無理だったので、誰にも言えませんでした。

広場恐怖症のことを知らなかった私は、閉所恐怖症のようなものだと思っていたので、「閉所恐怖症」の人が苦手、または禁止とされるMRI検査やテーマパークのアトラクションも、受け付けなくなりました。

この間、通勤時の移動には各駅停車を使い、いつでも降りられる態勢でいました。各停に乗っているときはすぐに降りられる安心感からか、発作はほとんど起きませんでした。

各停での通勤は半年ほど続いたかもしれません。

やがてひと区間ずつ快速などの電車にチャレンジして少しずつ慣れさせながら、いつもの生活を取り戻していきました。発作の頻度は減り、地下鉄や速い電車に乗れるようにはなりましたが、発作はその後も数年間続きました。

5年ほどたって、岐阜観光に行く機会がありました。新幹線のぞみに乗車する決意をします。

1時間以上もノンストップなので多少不安でしたが、在来線で行くわけにはいきません。新横浜から乗り込み、ドアが閉まり、電車が動き出すと、心臓がトクトクし始めました。しかし、少し鼓動が早くなった程度ですみ、無事に名古屋までたどり着きました。

楽しく観光できたおかげか、帰りの新幹線では何事も起こりませんでした。

さらに3年ほど後のこと。車で移動中、井荻トンネル(東京都世田谷区)にさしかかりました。渋滞で有名な環八です。

不安に思いながらトンネル内へ。運悪く途中で車が詰まり、止まってしまいました。するとドキドキが。でもすぐに動き出し、心臓も落ち着きました。

それからさらに数年して、避けていた中央道の恵那山トンネルに挑戦してみることにしました。全長9km弱、通過時間7分程度、なかなか手ごわい相手です。近づくにつれ緊張しましたが、トンネル内に入っても、私の心臓はいつもどおりでした。抜けたとき「治ってる」と感じました。

最初の発作から8年ほどたっていました。

これらのトンネルでは、どちらも家族が一緒だったのが大きかったと思います。私のパニック症のことを知っていた唯一の人物です。事情を知る、信頼できる人がそばにいることは、とても心強いものです。

最初の頃の発作は前触れも自覚もなく始まったので、とにかく恐怖でした。

そのうち、不安が動悸を誘発していることがわかってからは、激しさはだんだん和らいできました。「新幹線」と「井荻トンネル」では、ちょっと脈が速くなる程度でした。これらを発作と見なさないならば、治るまでの期間は約5年と言えますが、最後の「少しだけドキドキ」も症状の1つと見なすと、約8年かかったことになります。

8年か、長かった…。思い出すと、感慨深いものがあります。

今はもう、不安はありません。MRI検査も問題なく受けられたし、飛行機に乗る機会はまだありませんが、だいじょうぶだと思います。

もし発作が起こったら…その時はその時。ほんの少しの間、辛抱すればいいだけ、そんな心持ちでいます。

 <まとめ>
発症したての頃は焦り、不安を感じ、電車や狭い空間が怖くなり、たいへんしんどい時期でした。

それでも、あまり深刻に捉えることはなかったように思います。数分もたてば発作は治まったからかもしれません。また、日々やること、やりたいことを目の前にして時間はどんどん流れ、そこに留まっている余裕がなかったからかもしれません。

楽しい時間も、悲しい時間も、嬉しいことがあった人にも、つらいことがあった人にも、時間は平等に流れていきます。

もしあのとき私が思い悩み、悲観してそこに留まっていたら、ぽつんと置いてけぼりになっていたら、状態は悪くなっていたかもしれません。時間の経過も、回復を後押ししてくれたような気がします。

結局病院へは行かず、何年も誰にも話しませんでした。行っていたら、話していたら、もっと早くよくなっていたかもしれません。でも岐路に立つたびに、その時の自分がいいと思った道を選び、ここまで来れたのです。後悔はありません。

症状の重さ、受け止め方や感じ方は、人によってさまざまです。私の体験談はあくまでも一例にすぎないことをご承知おきください。

そして、現在パニック症をかかえる方たちが回復して苦しみから解放され、支えとなっている方々とともに平穏な日々を送れるように、心から願っております。

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