パニック症とは

はじめに
 息苦しさ、激しい動悸、めまい、吐き気などに突然襲われ、いつどこで再発するかわからない不安が継続し、死の恐怖さえ感じる――パニック症は、日常生活に支障をきたすこともある疾患です。きっかけはストレス、不安、ショッキングな体験などがあり、さまざまな要因が絡み合って発症しますが、環境面での要因が大きいと言われています。誰でもなりうる疾患であり、「精神が弱い」ではないのです。
 私は20数年前にパニック発作を経験し、※広場恐怖症を併発し、治るまでに5~8年かかりました。公共交通機関などに乗るのが怖くなる、乗れなくなるなどの弊害がありましたが、生活への支障はそれほどなかったと思っています。今はまったく不安も恐怖もなく、最後の発作から何年もたち、当時のことを冷静に振り返ることもできます。そのためパニック症を抱える方、そのご家族やご友人などにお伝えすることで、何かしらの手がかりにしていただけるかもしれないと思い、ひとつのページにまとめることにしました。
  刺激の強い内容は含みませんが、感受性や不安が強い方は安心できる場所、または信頼できる人が近くにいる場所でお読みくださるといいと思います。万が一発作が起こったら「何の危険もない」「安全だよ」と言いながら、ゆっくり呼吸をして休んでください。それゆえ、最初に言っておきます。パニック症は治らない病ではありません。きちんと対処すれば改善していきます。発作はあなたの体を守るために起こる生体反応です。自分を責めたりしないでくださいね。しんどい場合、症状が重い場合はお医者さんに相談してください。回復する力はあなた自身が持っています。自分を信じましょう。
 ※広場恐怖症は、ひとりでいるとき、またはすぐにその場から移動できない状況にいるときに不安や恐怖を感じます

パニック症について
〈原因〉 強いストレス、不安、恐怖、ショック体験など。環境要因が多いが遺伝体質も報告されている。
*原因は、知りたくなったそのときに考えればいいと思います。まずはリラックスした生活を心がけてください。
〈症状〉 息切れ、動悸、頻脈、胸の痛み、窒息感、めまい、発汗、しびれなどのパニック発作。それ自体は数分でおさまることがほとんどであり、珍しいものではない。繰り返し起こるとパニック症とされる。
〈治療〉 薬物療法、認知行動療法など
〈発作が出たら〉息苦しいときは、鼻から吸って、口から長くゆっくりと吐き出すことを意識してください。前かがみになると、呼吸がしやすくなることがあります。動悸がするときは、ゆっくり呼吸を整えましょう。
*パニック発作で命を落とすことはありません。「安全だよ」「だいじょうぶ」と自分に言い聞かせてあげましょう。声に出すのも効果的です。そばに信頼できる人がいれば、背中や肩を軽くさすってもらうと、安心して次第に落ち着きを取り戻します。
*日がたつにつれて不安が増す、発作が強くなるといった場合、「不安障害」の可能性があります。医療機関での受診も検討してください。

★自分でできるこんな対症療法もあります
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※近日中(10月中旬以降)に公開予定です。公開したらSNSでお知らせします。

〈ひとりで抱え込まないで〉身近な人に話すなどして、周囲からのサポートを得ることはとても大事です。発作がひどいときや不眠などの身体症状が著しいときは医師に相談してください。カウンセリングを利用し、不安やつらい気持ちを吐き出すことも大きな効果があります。
〈まわりの方たちへ〉誰でもなりうる疾患です。死の恐怖を感じる人もいることを、どうぞご理解ください。発作が起きたら「危ないことは何もないよ」と声をかけたり、背中をさすったり、手を握ってあげたりするだけでも力になります。安心感は、症状の改善につながります。

体験記

 ある日の夜、帰宅してくつろいでいたとき、日中に見た場面が不意に頭の中によみがえりました。たまたま目撃し、ひどくショックを受けた光景です。しかしその後は仕事に向かい、気にすることなく1日を過ごしました。それが夜になって突然、現れたのです。いやな気持ちになりました。焦りました。消そうとしました。消えません。テレビに集中します…できません。現実ではテレビを見ているのに、昼間の出来事が、いま目の前で起こっているかのような感覚です。フラッシュバックです。目をつぶったり、頭を振ったりして、うわーっと叫びたいような、何といったらいいか、心がかき乱されて、頭がおかしくなりそうでした。だんだん息苦しくなり、呼吸がつらくなりました。
 息を吸おうとするのですが、呼吸が楽になりません。私のまわりから酸素がなくなったかと思ったほどです。馬鹿馬鹿しいことですが、別室の両親の様子をうかがい、ふつうに息をしているらしき姿を確認しました。精神的なものだ、落ち着け… 自分に言い聞かせますが、いっこうによくなりません。とにかく楽になりたい、だったら救急車を呼ぼうか、と考えました。でも…。一人であれこれ考えて、救急要請は見送り、様子を見ることにしました。それでもあの映像は頭の中でループ中。テレビを見ようとしても、新聞を読もうとしても、集中できません。そこで、私は頭を使う難題を自分に課し、集中することにしました。功を奏しました。1時間くらいやっていたと思います。息苦しさからは解放されました。
 ところが、しばらくするとまたあの映像の無限ループが始まりました。寝ようとしたときです。そこでラジオも電気もつけたままベッドに横になり、自然と寝入るまで起きていました。本格的に寝たのは3時か4時頃だったと思います。何とか数時間寝ることができ、翌日からいつもどおり仕事に出かけました。何かに集中していれば平気なのですが、寝るときになるとよみがえるのです。電気とラジオをつけたままの睡眠は10日ほど続きました。
 そして、ここからがパニック症の始まりです。翌日だったかどうかは記憶が曖昧なのですが、電車に乗っていた時のこと。何の前触れもなく動悸が始まったのです。異常な動悸でした。ドオーッキン、ドオーッキン。運動した後のそれとはまったく違う、周囲の人に聞こえてるだろう、肋骨を突き破ってマンガのように心臓が飛び出てるだろうと思うほど、心臓がのたうち回っていました。あまりの激しさに、心臓が止まるんじゃないかと思いました。次の停車駅で降り、やがて動悸はおさまりました。
 電車での発作はたびたび起きました。何が引き金になるのかが次第にわかってきたのですが、別の物が新たに引き金なることもありました。どちらにしても、自分ではどうすることもできません。いつ起きるだろうか。不安がつきまとい、始まったらどうしよう、倒れてもすぐに降りることができない、事故がおきたら長時間閉じ込められる、と考えるようになり、電車に乗るのが怖くなりました。こうして地下鉄や高速道路の長いトンネルなども怖くなり、飛行機に乗れなくなりました。実はこれが広場恐怖症であることは、だいぶ後になって知りました。当時はパニック症の存在すら知りませんでした。
 あるとき何気なく見ていたテレビ番組で、「パニック障害」というものについて解説していました。「これだ」と思い、初めて自分の病名を知りました。すると動悸が始まりました。それ以来、テレビで、新聞で、その辺に転がっている小冊子で「パニック障害」を頻繫に見聞きするようになり、そのたびに動悸がしました。やがて「パ」の文字を見るだけで動悸がするようになりました。この状況を誰かに話そうとすると動悸が始まり、涙が出そうになります。平常心で話すことが無理だったので、誰にも言えませんでした。広場恐怖症のことを知らなかった私は、閉所恐怖症の亜種だと思っていたので、「閉所恐怖症」の人が苦手、または禁止とされるMRI検査やテーマパークのアトラクションも、受け付けなくなりました。
 この間、通勤時の移動には各駅停車を使い、いつでも降りられる態勢でいました。各停に乗っているときはすぐに降りられる安心感からか、発作はほとんど起きませんでした。各停での通勤は半年ほど続いたかもしれません。やがてひと区間ずつ快速などの電車にチャレンジして少しずつ慣れさせながら、いつもの生活を取り戻していきました。発作の頻度は減り、地下鉄や速い電車に乗れるようにはなりましたが、動悸はその後も数年間続きました。
 5年ほどたって、岐阜観光に行く機会がありました。新幹線のぞみに乗車する決意をします。1時間以上もノンストップなので多少不安でしたが、在来線で行くわけにはいきません。新横浜から乗り込み、ドアが閉まり、電車が動き出すと、心臓がトクトクし始めました。しかし、少し鼓動が早くなった程度ですみ、無事に名古屋までたどり着きました。楽しく観光できたおかげか、帰りの新幹線では何事も起こりませんでした。
 さらに3年ほど後のこと。車で移動中、井荻トンネル(東京都世田谷区)にさしかかりました。渋滞で有名な環八です。不安に思いながらトンネル内へ。運悪く途中で車が詰まり、止まってしまいました。するとドキドキが。でもすぐに動き出し、心臓も落ち着きました。それからさらに数年して、避けていた中央道の恵那山トンネルに挑戦してみることにしました。全長9km弱、通過時間7分程度、なかなか手ごわい相手です。近づくにつれ緊張しましたが、トンネル内に入っても、私の心臓はいつもどおりでした。抜けたとき「治ってる」と感じました。最初の発作から8年ほどたっていました。これらのトンネルでは、どちらも家族が一緒だったのが大きかったと思います。私のパニック症のことを知っていた唯一の人物です。事情を知る、信頼できる人がそばにいることは、とても心強いものです。
 最初の頃の発作は前触れも自覚もなく始まったので、とにかく恐怖でした。そのうち、不安が動悸を誘発していることがわかってからは、激しさはだんだん和らいできました。「新幹線」と「井荻トンネル」では、ちょっと脈が速くなる程度でした。これらを発作と見なさないならば、治るまでの期間は約5年と言えますが、最後の「少しだけドキドキ」も症状の1つと見なすと、約8年かかったことになります。
 8年か、長かった…。思い出すと、感慨深いものがあります。今はもう、不安はありません。MRI検査も問題なく受けられたし、飛行機に乗る機会はまだありませんが、だいじょうぶだと思います。もし発作が起こったら…その時はその時。ほんの少しの間、辛抱すればいいだけ、そんな心持ちでいます。

まとめ
 発作に見舞われている最中は焦りや不安、初期の頃は恐怖を感じましたが、実はあまり深刻にとらえることはなかったように思います。数分もたてば元に戻ります。日々やること、やりたいことを目の前にして時間はどんどん流れ、そこに留まっている余裕がなかったからかもしれません。楽しい時間も、悲しい時間も、嬉しいことがあった人にも、つらいことがあった人にも、時間は平等に同じリズムで流れていきます。もしあのとき私が思い悩み、悲観してそこに留まっていたら、ぽつんと置いてけぼりになっていたら、状態は悪くなっていたかもしれません。時間の経過も、回復を後押ししてくれたような気がします。結局病院へは行かず、何年も誰にも話しませんでした。行っていたら、話していたら、もっと早くよくなっていたかもしれません。でも岐路に立つたびに、その時の自分がいいと思った道を選び、ここまで来れたのです。後悔はありません。
 症状の重さ、受け止め方や感じ方は、人によってさまざまです。私の体験談はあくまでも一例にすぎないことをご承知おきください。そして、現在パニック症をかかえる方たちが回復して苦しみから解放され、支えてくれた方々とともに平穏な日々を送れるように、心から願っております。

高瀬和枝カウンセラー
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